何もかもが思い込みだとしたら。
みなさんは、通勤・通学には何をお使いでしょう?
電車とバスですか?
車?
最近では、自転車なんてのも
おしゃれなようです。
カスタマイズした自転車が
たくさん走っているのを見かけます。
実は、私、満員電車が大嫌いです。
(まあ、好きな方はいらっしゃらないとは思いますが。
あの、密着感がたまらない~~、とか。
あ、そういう不埒な者はいそうですね。)
なんでみんな あんなにおとなしく
あの状況に我慢しているんだろう?
と不思議です。
タカノは通勤の経験が少ないせいか
あの「不快感」がどうしても「当たり前」だと
思えないのです。
每日、あれを経験しなければならない人は
どうやって自分の心を守っているのでしょうか?
それを「当たり前なもの」と「悟り」
それを「感じない」という究極の方法を
とっているとしか思えない。
自分の感じているものを 否定する。
でも、改めて思うに
これ以上の「自分いじめ」はないのではないでしょうか。
■視野狭窄の怖さ
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「ブラック企業で超過勤務で過労死するくらいなら
その前にそんな会社やめればいいのに」
という意見に対して
「それさえできなくなる状況」をまんがで解説した
ツイッターがフェイスブックで紹介されました。
每日終電車に走り込むという日常を過ごしていた主人公。
ホームで、ふと思います。
「一歩踏み出せば、明日出社しなくていい」
それが、とてつもなく魅惑的な考えに思えたそうです。
実際は、その魔の瞬間を主人公は思いとどまり
転職の道を選ぶことが出来たわけですが。
人間というのは面倒くさいもので
「見たくないものは見えない」し
「そういうものだと思えばそういうもの」
に「してしまい」ます。
これは、目の機能の問題ではなく
脳の認知の問題です。
誰かに頼まれて探しものをする時
「どうせないや」と思うと、
永遠に見つからない、という
アレです。
一旦、脳がそれが当たり前と思ったが最後
そこから抜けられなくなるのです。
そして、それが「思い込み」だとも
気づかない。
それが、怖いところです。
立っている場所は
長い人生の中の「ただの一瞬」で
幾多の未来を描ける状況であることが
「見えなく」なるのです。
そこから逃れたいばかりに
自分の命を断つ選択をしてしまう・・・。
まず、不快な状況を「感じなく」する。
あるものをないとする。
それが、視野狭窄のスタートラインなのではないか、と
タカノは思います。
どうすれば、 視野狭窄に陥らずにすむでしょう?
とにかく
脳が正常に世界を認識できるまで
脳を休めることです。
脳を休めれば 新しい目で自分の人生を見ることが
出来るようになります。
アスファルトの割れ目に咲いた花にも
気づくようになります。
そうなれば、しめたもの。
電車を使わない通勤方法があるかもしれません。
正社員でなくても適正に働ける場所があるかもしれません。
実家に帰るという方法もあるかもしれません。
誰かに助けを求めることが出来るかもしれません。
脳を休ませて
自分の人生を俯瞰して見ることが出来れば
気づいていない
多くの選択肢が見えてきます。
ひとは、たくさんの「思い込み」で 生きているものです。
幸か不幸か「思い込み」という指針がなければ、
人は生きられないのです。
だから、もし、いままで使っていた「思い込み」が
もう、ちょっと違うなと気づいたら
新しい考えと交換してしまいましょう!
古い思い込みを捨てて 新しい人生の前提を迎えましょう。
私達は、そう思いさえすれば
より広い世界を生きることが出来るのです。
爪の先しか見ていなかった世界が
実は、自分の認識次第で
可能性に満ちていることに気づくはずです。
■自分史を「お絵描きまんが」で描くことで 「思い込み」もチェックできます。
11月20日(日)の 吉祥寺での「お絵描きまんが似顔絵」
体験勉強会においでください。
10月中に申し込みをされた方には、早期割引があります。
ぜひご活用ください。
0コメント